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2017年12月17日 (日)

詩の講座のち忘年会

大阪文学学校での詩の連続講座のため大阪市内へ。最寄りの古市駅から谷町6丁目までは電車2本で35分ほどです。少し早めについて遅い昼ごはんを近くのうどん屋さんでとってから教室へ。この日は提出作品16篇。全員出席で、ほかに数人の参加がありました。いつも皆さん大変熱心で、2時間の予定を大幅に越えるのが常ですが、この日は後の用事もあって、早めに(といっても30分ほど超過して)終了。
終了後は講座参加のみなさんと飲み会、というのが恒例ですが、この日は別の懇親会(という名の飲み会)の約束があったので、そのまま天満橋まで移動。すでに宴会が始まっていて、途中参加ながら結構飲んで、みなさん(20人ほど、うち10人が同テーブル)とよくお話して、その分あまり食べられずに、おひらき。
おひらきがわりと早かったので、阿倍野の喫茶店で一服。シメのラーメンを食べたくなったので店に入ってとんこつラーメンを食べてから帰りの電車に乗りました。帰宅は9時半頃。
さすがに疲れたので、そのままだらだら。でも遅い時間に少し復活したので詩集を一冊読もうと思ったところへ友人から電話。けっこう長くなったので、もうこの日は終了にしました。
深夜ワインは引き続きアルゼンチンの複雑系。音楽はビル・エヴァンスのシンプル系です。今日(日曜)は大学の通信教育部のスクーリングで出講します。これで年内の授業は全部終了(のはず)。最後のひと頑張りです。そんな師走の師は走る。

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2017年12月16日 (土)

講義のち演習のち卒業制作チェックのち鍋会食のち詩集一冊

タクシー出勤しようと思ったら、何度電話しても話し中でタクシーを呼べません。いつもはたいていすぐに繋がってすぐに迎車が来るのですが。急遽、息子に電話して、大学まで乗せて行ってもらいました。外出中でなくてよかった。こういう時、近くに住んでいると助かります。無事に間に合って、講義と演習を予定通り終了。これで年内の通常授業は終了です。
帰宅したら、4年ゼミ生から卒業制作(詩集)の下書きがメールで届いていたので、早速チェック。提出まであまり日がないので、ごく僅かなチェックだけして返送。
この日は家人が留守なので(晩ごはんの準備はしておいてくれました)息子夫婦と3人で鍋会食。ビールも少し飲んで楽しく歓談しながらお開き。夜は、翌日の文学学校の詩の講座の提出作品を確認してから、詩集を一冊だけ読みました。以下はツイッタより。

植村勝明『雪降る日の紙漉きのように』(土曜美術社出版販売)1934年生まれの著者の第12詩集は全1500行近い長篇詩。「*」で数行程度に区切られながら全体が緩やかに結ばれている。主題は神話、宗教、歴史、文学、地理等広範に及び、その一つ一つが現代の社会問題に対する寓喩になっている。
(引用ここまで)

深夜ワインはアルゼンチンの赤。「複雑なフレーバーが特徴」とのことですが、私はどちらかというとシンプルな味わいの方が好きです。ま、これはこれでいいけど。音楽はやはりビル・エヴァンス。そんな初冬の羽曳野丘陵より。今日(土曜)は大阪文学学校で詩の講座。夜は別のところで懇親会(という名の忘年会)があります。まだ落ち着くことができません。

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2017年12月15日 (金)

会議のち授業のち卒業制作チェックのち詩集1冊

 

木曜は毎月1度ぐらいの割合で会議があります。タクシー出勤。ちょっと遅れましたが会議も授業も無事に終了。年内の木曜授業はこれで終了です。帰宅は6時前。

夜は通信教育部の卒業制作の下書きが届いたので早速チェック。今のところ50枚ほどです。最終的には80枚になるとのこと。メール返送してから、まだ時間があったので、詩集を1冊読みました。以下はツイッタより。

崔龍源『遠い日の夢のかたちは』(コールサック社)1952年生まれの詩人による第5詩集。悠久の時間の中での抒情に特徴があり、生と死に対する認識が揺れ動きつつ微妙な倍音を響かせている、といった趣だ。社会批判の詩にも抒情が滲み出ていて説得力をもつ。韓国人の父とその死を描いた作品も秀逸。

(引用ここまで)

深夜ワインはボルドーの赤。音楽はセロニアス・モンクのピアノ。今日は年内最後の金曜授業です。講義も演習も谷川俊太郎作品です。そろそろ各種締め切りが気になってきた羽曳野詩人です。

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2017年12月14日 (木)

詩集5冊のちエッセイ集

 

一日中家にこもって詩集を読んでいました。この日は5冊。以下はツイッタより。

本多寿『死が水草のように』(本多企画)宮崎在住の詩人による15冊めの詩集全23篇。虫や植物を観察する眼差しが幻視へと直結するイメージは瑞々しく新鮮だ。時折登場する少年は詩人自身の分身なのだろう。少年性を保ったまま年老いて行く詩人の言葉は美しい。東日本大震災の死者たちへの追悼詩も。

外村文象『荒磯』(明文書房)1934年生まれの詩人による第11詩集49篇。自伝的内容や現在の生活環境や旅行体験や過去現在の詩人仲間との交流などを軸に、多様なモチーフの作品を集めているが、長い人生の中で培われてきた経験則が中心軸を成している。今は亡き詩人たちへの追悼詩も貴重な証言。

 

佐藤勝太『佇まい』(コールサック社)1932年生まれの著者による第15詩集全83篇。いずれも短めのスケッチ風作品だが、長い人生の経験が様々な局面に焦点を合わせることでアルバムのように現前する。自画像、他者の肖像、戦中戦後の生活、青春時代、といった主題が章ごとに整然と佇んでいる。

樋口武二『苦い水』(詩的現代叢書)著者が継続して出し続けている幻想的散文詩集の新刊。読点だけで句点はなく、句点のあるべき位置には一字空きが施されている。全体は夢あるいは夢想のスケッチだが、時に掌編小説的なドラマツルギーも施されていて、読者を飽きさせない。妄想と幻想は紙一重なのだ。

河原修吾『のれん』(洪水企画)1946年生まれの著者による第5詩集全25篇。いずれもよく熟れた優しいスタイルで日常の機微や人生観自然観を繊細に描いている。平易な文体はライトヴァースを思わせるが、相当に周到な仕掛けをしていることが分かる。表題がその自在さ柔軟さを象徴的に語っている。

(引用ここまで)

これで現在までの分はすべて読了しました。机上を片付けてすっきり。久しぶりに広くなった机を記念写真。

夜は、数日前から読んでいたエッセイ集を一冊読み終えました。以下は備忘録的にフェイスブックに書いたもの。

小池昌代『幼年 水の町』(白水社)読了。以下は第一印象での感想です。
 幼年を主題にした作品といえば、まず堀辰雄やカロッサのを思い浮かべる人が多いと思うが、私にとってはまず福永武彦の『幼年』だ。輪郭も定かでない遠い記憶の儚さそのものの表出であるかのような文体に何よりも特徴のある小説、といえばいいだろうか。これに対して小池昌代の「幼年」は、輪郭も色彩も明暗もこの上なくくっきりと像を浮かばせる明瞭な文体に特徴がある。東京深川に生まれ今もその延長上に暮らしていることが大きいのかもしれないし、あるいは、小池さん自身の記憶力や喚起力によるのかもしれない。
 そうした明確さあるいは透明さに照らされたエッセイ群は、散文的明晰性とともに不思議な「詩の光」に照らされてもいる。詳細は調べてみないとわからないが、これらのエッセイには、作者のこれまでの作品群、とりわけ詩作品と対をなすものが多くあるようで興味深い。まず第一詩集『水の町より歩きだして』と本エッセイ集は「水の町」という共通のタイトルをもつことからも明らかな通り、共に、生まれ育った深川の風景と幼年期の思い出をモチーフにしたものだ。とりわけ「光」に敏感に反応した少女は長じて「詩の光」を生み出し「感光生活」を描き出していくことになる。
 冒頭近くではまず散文的明晰性を主とした語りが多く見られるのだが、やがて叙述は、より詩的な方向へと傾斜してく(やはり詩人の本能だろうか)。「詩」への言及や「詩」そのものの引用が鏤められるようになると、一挙に詩的イマジネーションへと飛躍し始める。末尾に収められた掌編小説では、介護職員の女性と死期を間近にひかえた老人(あるいは老詩人?)の交流が描かれるのだが、ここでは辻征夫の詩が引用され、老人の過去がかすかに映写されている。面白いのは、詩の朗読を契機として語りの主体が女性から老人へと移行していることだ。末期の詩、とでも言えばいいだろうか。死の光に照らされた詩は限りなく清澄で透明だ。あるいはこれが詩のアルファでありオメガでもある、といってみたくなる。至る所に詩の種が埋め込まれた25篇のエッセイ(と掌編小説)は、この詩人の更に先にあるポエジーへとドライブを書け続けて行くことだろう。

(引用ここまで)

深夜ワインはボルドーのラ・フレイネル。カベルネソーヴィニヨンです。音楽はビル・エヴァンス。今日(木曜)から二日間は授業。土曜は詩の連続講座に忘年会。日曜は通信教育課程のスクーリングと続きます。この数年同じパターンです。年末の山場。がんばります。そんな深夜の羽曳野詩人はそろそろ出番が近いようです。詩の締切は12月20日。

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2017年12月13日 (水)

ミニコンサートのち講義のち演習のち詩集3冊

昼休みに情報センターでミニコンサートがあるので、早めにタクシーで出校。食堂できつねうどんを食べてからちょうど間に合いました。ヨハン・シュトラウスのウィンナ・リート3曲とピアノ・ソロ2曲。ちょうど30分で終了です。19世紀フランスで製造されたエラールとプレイエルのピアノがあって、どちらも初めて聴くことができました。特にプレイエルは、ショパンが愛用していたのと同じモデルということで、19世紀の響きそのもの。温かく柔らかい響きです。こういう催しはもっとやってほしいと思います。芸大ならではの贅沢かもしれません。
プレイエルの余韻の残るなか、講義はポンジュとアラゴンで年内終了。続く演習は卒業制作提出に向けて最後の指導です。こちらも年内終了。残るは木曜と金曜のみです。
夜は詩集を3冊読みました。11月刊行分はこれで終了。続いて12月刊行分残り6冊です。以下はツイッタより。

浦歌無子『夜ノ果ててのひらにのせ』(弦書房)「第一夜」から「第二十五夜」までの連作詩。謎の存在ギギをめぐる幻想譚の形態を取るが、イメージは自由連想的に飛躍する。時に言葉遊びへと逸脱しながら、水と音楽とミツアミのモチーフが展開する。水は死、音楽は生、ミツアミは少女の喩かもしれない。

十田撓子『銘度利加』(思潮社)表題(メトリカと読む)はロシア正教の受洗名簿のこと。秋田県鹿角に生まれた著者が、当地に伝わる敗者たちの霊と交信するかのように、死者たちとの対話を繰り広げる。フォークロワ的な手法と自在な詩的想像力が融合して、現代の叙事詩と呼ぶべき伝承詩篇が誕生した。

井崎外枝子『出会わねばならなかった、ただひとりの人』(草子舎)2015年1月に夫を亡くした金沢の詩人が、亡夫への連作追悼詩を中心に編んだ第4詩集。50年の生活を振り返ると同時に、夢での再会を期待しつつ生まれ変わりを夢想する。切ない詩行の合間に微かな死の光を追い続ける詩人の鎮魂歌。
(引用ここまで)

深夜ワインはスペインの赤。音楽はビル・エヴァンス晩年の演奏。ほぼ定番です。冷え込みがかなり厳しくなってきました。風邪注意、ですね。

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2017年12月12日 (火)

卒業制作のち予習のち詩集5冊

この冬一番の冷え込みの中、外出せずにずっとデスクワークをしていました。まず、学生からメールで届いた卒業制作下書きのチェック。かなり長いので時間がかかります。できたので返送。次いで、金曜の授業準備。年内最後です。資料を作成して終了。もう夜になりました。
夜は詩集を5冊読みました。以下はツイッタより。

遠藤ヒツジ『橋渡り』(羊目舎)長篇詩を中心とする12篇。散文詩、行分け詩、三行詩節など、様々なスタイルを使い分けながらアナーキーでキッチュな詩空間を強引に押し広げていくスタイル。宮澤賢治をはじめブッキッシュなモチーフや現代的なメディア用語なども駆使した詩的エネルギーに注目すべき。

 

紺野とも『レトロスペクティブ』(私家版)全12篇の小詩集。現代都市生活の中に楽しみを発見しつつも、迷い悩み切なく呟く若い女性の感覚が、微妙に繊細に詩行に溢れている、といった趣の作品群。時に新しい調べを求めて無理な外来語を用いたり、強引なルビを用いたりするのは、新奇への希求ゆえだ。

福田拓也『倭人伝断片』(思潮社)神奈川県在住の著者が、古代日本への幻想に惹かれて奈良・大阪を旅することで得たイメージを、独自の抒情詩にまとめた。ニューヨークやパリでの体験も混じえた現代生活と、古代の人々の生活とが、螺旋状に組み合うかのように、瞬間移動で交感し合うイメージは美しい。

菊田守『蛙』(砂子屋書房)1935年生まれの詩人による最新作27篇。幼少期の思い出や若き日、現在の日常生活や亡き人の思い出など、身近な人・虫・鳥・植物を繊細に描いた作品群。人生の機微を自然体で描き出す筆致が、ベテランの落ち着きと、なおも探究心止まぬ瑞々しさを、ともに示している。

大倉元『噛む男』(澪標)1939年生まれの詩人による第3詩集。前作『祖谷』の続編を集めた「Ⅰ」、大和郡山での生活を描いた「Ⅱ」、家族と過ごす日々の生活の機微を描いた「Ⅲ」から成る。平家の落人伝説が伝わる祖谷での幼少期と、現在の切実ながら飄々とした生活ぶりとのコントラストが面白い。

(引用ここまで)

これで11月刊行分は残り2冊。その後、12月刊行分が7冊あります。そろそろ「びーぐる」の原稿も気になってきました。

深夜ワインはボルドーの赤。音楽はリリー・クラウスのピアノでシューベルトを聴いています。今週は通常授業の後、土曜も日曜も業務があります。体調に気をつけてがんばります。そんな初冬の深夜です。

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2017年12月11日 (月)

マグロ漬け丼と詩集5冊

このところ料理意欲が上昇しているので、夕方その食材を買いに近所のスーパーへ。ここのスーパーは時折(おもに日曜日に)マグロの解体ショーというのをやっています。特にショーに興味はないのですが、当日行くと新鮮なマグロが手に入るので要チェック。マグロ赤身の短冊を購入。ほかにも必要なものを買って帰宅。この日のメニューはマグロ漬け丼と鶏胸肉の味噌汁。漬け丼はシラスを乗せるのがポイント。どちらも上手にできました。美味。
詩集は5冊読みました。以下はツイッタより。

北川清仁『冴』(モノクローム・プロジェクト)妻のようでも娘のようでもある幻の女性「冴」との生活(または夢想)を描いた物語的詩群。誕生以前のはるかな昔や死後の世界にも想像をめぐらすことで、実存とは何かをはるかに問いかけているかのようでもある。変幻自在な「冴」の存在に鍵があるようだ。

北川清仁『ぼくと冴』(モノクローム・プロジェクト)『冴』と同時刊行。こちらは表紙に「ものがたり詩集」とあるように、より物語性の強い作品群。遠い過去や近い過去そして遠い未来に「ぼく」と「冴」が様々に転生を繰り返す。冴は時に妻であり母であり恋人であり笹ゆりとなって「ぼく」を映し出す。

根津真介『枝葉末節』(私家版)2016年から立て続けに詩集を刊行し続けている著者の第9詩集。正方形の紙面見開き2ページ、タイトルはすべて「◯◯に」と、整った構成だが、中身は多様で変化に富んでいる。自虐的なユーモアは時に切実に人生を振り返り、時に虚構に遊ぶ磊落さも持ち合わせている。

西田純『風の森』(竹林館)1956年生まれ京都在住の著者による第7詩集。数行から十数行程度の短い作品39篇。タイトルから想像されるように樹木をモチーフにした作品が多く、自然界の中での自己の立ち位置が多く歌われている。素直で簡素な語り口が心象風景をスケッチ風に描き出している印象だ。

岡田ユアン『水天のうつろい』(らんか社)娘を産み母となった著者が、出産前後の体験を直接的あるいは間接的に、時に神話的に時に現実的に、様々な手法で詩に託した23篇。命と直面する体験が広く社会にも延びていく可能性を秘めている。表題作はないが、安産・子育ての神の「うつろい」とは象徴的。
(引用ここまで)

深夜ワインはボルドーのオー・メテ2016年。ボルドーらしいフルボディです。これも美味。音楽はジム・ホールのジャズギター。美音。そんな初頭の、じゃなくて初等、でもなくて初冬の羽曳野の夜です。

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2017年12月10日 (日)

クヌギの枯葉のち夕照のち詩集3冊

夕方、買い物がてら散歩に行きました。いつもの古墳公園。クヌギの枯葉を踏みしめながら展望台に出ると、葛城山系の山頂あたりに夕陽が反映して、とてもきれいでした。いつもは見られない景色。木の葉が大部分落ちて枯れ枝になった隙間から見えていました。ほんの1分ほど。季節、時間、気象条件などがそろわないとこういう光景は見られないので、稀少な体験だと思います。
夜は詩集を3冊読みました。以下はツイッタより。

柏木咲哉『万国旗』(コールサック社)比較的短い詩ばかり77篇。「侮れナリン」のようなダジャレ、地口といった言葉遊びをアナーキーに振りまき傍若無人とばかりにユーモアを炸裂させる。そんな中にもふと立ち上がる切実、哀愁、孤独が詩的抒情を醸し出し、見かけ以上に真面目な作者像を彷彿させる。

井上摩耶『鼓動』(コールサック社)シリア系フランス人を母にもち海外居住の体験をもつ作者が、おもに自らの闘病体験、亡父・井上輝夫(フランス文学者、詩人)への追悼と従姉妹たちの住むシリアの内戦をモチーフに、重層的詩世界を構築した、全3章25篇。稀少な体験を普遍へと昇華する筆力は貴重。

和比古『人間の構図』(ユニウス)「構図」をテーマに書き続けてきた著者がこれまでの詩集をを統合する意図で編んだ第5詩集全15篇。音楽をモチーフにした作品にも特徴があるが、特にカンディンスキーやマグリットなどの絵画をモチーフにした作品は、自らのパステル画とも調和してユニークな味わい。
(引用ここまで)

深夜ワインはフランスのタランという銘柄のメルロー。やはりメルローが一番好みかな。音楽はジム・ホールのジャズ・ギターを聴いています。そんな初冬の羽曳野丘陵。

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2017年12月 9日 (土)

業務のち授業のち業務のち、、、、

業務連絡の電話をしてからタクシーで大学へ。この日は山菜肉蕎麦を食べてから授業を二つ。谷川俊太郎全詩集講読は1995年の『真っ白でいるよりも』まで来ました。もう少しで20世紀が終わります。年内の授業はあと1回を残すのみ。
授業の後も少し業務連絡があって、帰宅は6時半。すぐに「びーぐる」の業務連絡。こちらはメールで。ひとまず特集の原稿が全部そろったので、これから全体のページ計算に入ります。
「現代詩手帖」年鑑のアンケートへの回答をHPに載せましたが、こちらにも貼っておきます。

「現代詩手帖」年鑑アンケート2018への回答

山田兼士

今回も新人新鋭に限らせていただきます。

 Q1

山﨑修平『ロックンロールは死んだらしいよ』(思潮社)短歌を書いている人らしく、随所の詩行に短歌を折り込みながら、行分け詩、散文詩、亜散文詩を自在に展開している。音楽をモチーフに使い、また通奏低音に用いながら若者らしい生活ぶりを活写する。荒削りだが新鮮な才能だ。

広田修『vary』(思潮社)様々に変容する存在の様式を多彩なスタイルで言語に定着しようというメタフィジックな抒情詩群。縁起譚的な短めの散文詩はユニークだし、断章を番号で繋いでいく小野十三郎『詩論』のような詩論詩も独特だ。観念的抽象的なところもまた実在感を有している。

青木由弥子『星を生んだ日』(土曜美術社出版販売)第一作とは思われない成熟と落ち着きが特徴。ゆるやかに四章に分かれ冒頭には沖縄の印象等が鮮やかに描かれるが、何といっても表題作に代表される出産と育児の表現が独特。身体感覚が即時に暗喩となる表現。

横山黒鍵『そして彼女はいった――風が邪魔した』(モノクローム・プロジェクト)通常の行分け詩、散文詩、横書きの散文詩から成る作品群。メルヘン的要素とエロス的要素が不可分の融合体を形成し、作品生成のプロセス自体が作品と化しているかのようだ。散文詩の合間に短歌リズムを融合させる試みも。

深沢レナ『痛くないかもしれません。』(七月堂)第一詩集。ショートショート風の物語詩十五篇。かなりホラーなテイストの作品が多いが、骨格と構成がしっかりしていて最後まで読み切らせる力がある。不条理を不条理のまま突っ走る足力、といえばいいだろうか。独創的な新人だ。

 

Q3

北川透『現代詩論集成2』(思潮社)

高階杞一『詩歌の植物 アカシアはアカシアか?』(澪標)

野村喜和夫『哲学の骨、詩の肉』(思潮社)

佐々木幹郎『中原中也 沈黙の音楽』(岩波新書)

ロマン・ガリ『夜明けの約束』(岩津航訳、共和国)

さて。これで週末(いつの間にかフォントが変わっていますね。ま、いいか)。この週末は小説を読んで過ごすつもりです。詩集も読みますが。
深夜ワインはラ・マンチャの赤。音楽はビル・エヴァンス。すっかり定番の初冬の羽曳野丘陵です。あ、詩が書きたい。そんな気分です。

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2017年12月 8日 (金)

授業のち鍋のち詩集3冊

バスで駅まで出て、駅前のパン屋さんでサンドイッチを買って、電車バスを乗り継いで大学に到着。無事に授業を終えて帰宅は6時前でした。晩ごはんはチキンとタラの味噌鍋。4人で楽しくいただきました。
夜は詩集を3冊読了。以下はツイッタより。

マーサ・ナカムラ『狸の匣』(思潮社)民話的幻想譚と呼びたくなる物語詩20篇。擬人化というより妖怪化されたおびただしい数の動物や虫たちが登場し、不条理ながらどこか懐かしい雰囲気の異界へと誘っていく、といった趣の作品群。近未来から現在を振り返り更に戦争期を呼び起こす巻末作品は面白い。

荒木時彦『NOTE 002』(私家版)このところ冊子風の小詩集を頻繁に出している詩人が、今回は10ページ程度の小散文詩をまとめた。一見単なる日常雑記にも見える文体の中に「群衆に紛れるのがよい」というフレーズが繰り返され、一つの呪文のように散文世界からの逸脱を促す。その逸脱が詩なのだろう。

 

吉井淑『水の羽』(編集工房ノア)大阪府藤井寺市在住の中堅詩人が手堅く端正な詩世界を33篇にまとめた。主要モチーフは幼少期の思い出で、昭和中期頃の生活の匂いが微妙なイメージから漂ってくるような作風。現在の都市生活情景もどこか懐かしい空気に包まれている。亡き人たちへの追慕も穏やかだ。

(引用ここまで)

穏やかな小春日和でしたが、こんな日はあまり続かないのでしょうね。寒さ大作、じゃなくて対策が必要です。風邪注意、の季節になりました。深夜ワインはスペインはラ・マンチャの赤。濃厚です。音楽はやはり「枯葉」。そんな季節になりました。羽曳野丘陵より。

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