無言の一日

といっても、適当にしゃべってはいます。かすれ声で。ウイスパーで。バルバラぐらいの表現力があるといいのですが。ともあれ、休講にして正解でした。

夕方、息子の部屋がリフォーム中なので、近所の洋菓子屋さんで買ったケーキを差し入れに。もちろん本命の目的は孫娘さん生後7ヶ月です。ずいぶんしっかりしてきました。寝返りもうてるし。もうすぐはいはいしそうだし。いろんな声を出して喜んでいます。この子に対してだけはなぜか言葉が出てくるので、よろこんで遊んでくださいました。

食事は相変わらず苦戦しますが、なんとかゆっくり、ゆっくり、喉に入れていけば入ります。それでも時々咳き込みますが、以前ほどではない。これは症状が軽くなったためではなく、食べ方になれてきたためですね。あとはゼリーで補っています。

やはり話題がないので、詩集『冥府の朝』から巻末作を紹介します。

 

その時からというものは、 

                

   あまり死んでいる時間がなかった。どうすれば死ねるだろう、あらゆるものがこれほど生きているのに? (ル・クレジオ「戦争」より)

 

ほんの一瞬だった、

死の影をとらえたと思ったのは。

ぼんやりとではなく

はっきりした形をもち 明るく輝いて、

死者たちの姿がまるで 立体鏡の像のように

生き生きとしていたのだ

 

ほんの一瞬だった、

明らかな姿と明るい光が見えたのは。

やがて死者たちは闇に沈み

朗らかな気配だけを残して、

どこかへと

散り散りに消え去ったのだ 

 

  *

 

ほんの一瞬だった、

背後に微光が閃いたような

気がして 振り向くと

曖昧な靄に包まれて

表情の固まった

生者たちの像が漂ったのだ。

 

生者たちは暗鬱な中にも、

生きてあることの活力と

意地と切実と哀惜を全身で表していた。

そっちへ行くんじゃない

かすかに笑みを浮かべながら

 

  *

 

背後の世界ではあらゆるものがあまりに生きていた。

時折振り返りながら

私は静かに後ずさって行った。

前方の者たちに刺激されないよう、

誘惑されないよう、

引き込まれないようにと

 

さきほどまであれほど魅惑的に

なめらかな手振りと美しい声で

しきりにぼくを招いていた存在。

あれは「死」でも「死神」でもなく

「ぼくの死」そのものだった

「ぼくの生」と熾烈な戦いを繰り広げていたのだ

 

  *

 

こんな熾烈さのなかで

どうすれば死ねるだろう?

幼児は屈託なく笑い

もうすぐ生まれてくる子は

兄と同様に

祖父に出会える日を疑いもしないのに

 

あらゆるものがこれほど生きている

もうすぐ生まれてくる者たちも

すでに死んだ者たちも

はじめからこの世にいなかった者たちさえ

これほど生きている だからぼくには

あまり死んでいる時間がなかったのだ。

 

https://twitter.com/yamadakenji1/status/1526865801021911041/photo/1

2022年5月23日 (月)

ブログを停止します

長いこと(ほとんど毎日)続けてきたこのブログですが、このあたりで停止します。いろいろ理由はありますが、HPそのものは時折更新していきますから。御覧ください。今後はツイッタやフェイスブックでそれらの新情報を発信します。では。

2022年5月18日 (水)

病院のはしご

この一ヶ月ほど喉の調子が悪いので、いくつかの病院をはしごしています。まずはかかりつけの内科。おもわしくないので耳鼻咽喉科に。続いて、その紹介状を持って近所の総合病院耳鼻科。今日はここでした。内視鏡カメラの検査からCTスキャンに移動して。早く終われば授業に急行するつもりでしたが、ここで時間切れ。どうやら喉そのものではなく食道に異変ありとの診断でした。次は別の総合病院の消化器科に行きます。

ともあれ、昨日から声がでないので、これでは授業はできません。木曜日には病院で検査だし。仕方ないので、今週一杯の休講届けを出しました。やれやれ。

そいうわけで、やはり話題がないので、詩集『冥府の朝』から「再生詩篇」の一つを紹介します。

 

太陽を追って                  

          Oh, tomorrow may rain, so I'll follow the sun.—— LENNON & McCARTNEY

 

高いところは苦手なので

集合住宅の一階に住んでいる

上階からは古墳群を見渡せるのだが

最上階まで行ったのは九年間で一度だけだった

自治会の夜警で もちろん夜景しか見えなかった

 

七か月の入院生活から生還して

週一度の訪問リハビリを受けることになった

理学療法士の女性に付き添ってもらい

近所の散歩や駅までのバス乗車から始めた

弱った右膝の強化も大事な課題だ

 

勤務はオンラインが中心になっているが

時には業務のため出勤することもある

コロナ禍のなか「密」を避けるために

できるだけエレベーターは使わないようにとのこと

仕事場は六階 杖歩行での上り下りがつらいこと

 

療法士さんと一緒に 十一階まで

上り下りするトレーニングを始めた

最上階からの眺めは絶景(こわいけど)

地形が手に取るようにわかる いくつもの巨大墳墓も

二上山を越えて古市の村に舞い降りた白鳥の陵も

 

羽を曵いて消えていったという

西の彼方には薄く淡く陸の影が見える

位置関係を思い浮かべながらグーグルマップを起動

あの方角に陸地はない いや 海を越えたところに

国の発祥とされるオノコロ島がある

 

仏教伝来以前の神話伝承物語には

西方浄土の思想はなかったが

死の影に怯えながら太陽を追って行った

タケルの眼裏にはたしかに映っていたはずだ

軽く明るく清らかな日に照らされた常世の国が

2022年5月16日 (月)

ひさしぶりのピザのち詩集一冊

前日までの喉の不調が気になるので、朝食から注意して少なめに。昼食はゼリー(朝バナナ2本分)で代用して、夜はひさしぶりに宅配ピザを注文しました。意外なことにこういうのが食べやすいかも。晩に息子夫婦と赤子さんが現れて皆で晩ごはん。ピザは、けっこう大丈夫でした。むせることもなくほぼ1人前を完食。よかった。もう大丈夫(たぶん)だから、昨夜抜いたワインを今夜はいただきます。

夜は詩集を一冊読了。以下はツイッタより。

青木風香『ぎゃるお』(七月堂)散文詩中心の26篇。「ぎゃるお」は「ギャル男」か? LGBTを主要なモチーフに、生きづらくも滑稽で軽快でもある、だがやはり切実な実感にとらわれた、現代の若者の姿が複雑かつシンプルなイメージとストーリーに描かれている。軽やかな変身譚的幻想描写は魅力的だ。(引用ここまで)

 

2022年5月14日 (土)

3年ぶりの詩人会

このところ体調があまりよくないので迷いましたが、息子が車で送ってくれるということで、神戸まで遠出しました。コロナ禍のため中止が続いていた日本詩人クラブの関西大会。3年ぶりの開催です。個人的にはその前に7ヶ月間の入院生活がありましたから、みなさんにお目にかかるのは本当にひさしぶり。少々早めに到着したので、理事長の吉田さん、講演の佐々木さん、鼎談のたかとうさん、倉橋さんたちにご挨拶して、無事を報告してから会場い向かいました。会場には顔見知りの詩人たちが大勢いましたが、とても全員と話を交わすことはできません。それでも、懐かしい人々の顔顔顔はうれいしいものです。100人以上が集まっての大会は実現したものの、まだ懇親会を開ける状況ではないので、これはやむを得ないところ。早く、懇親会も含む完全なかたちでの開催が復活することを願ってやみません。

体調のことを考えて、第2部の途中で帰りました。今のところこのあたりが適切かなと。

往復とも息子の車で大変楽でした。そういえば、西宮より西へ車で行ったことは初めてではないだろうか。若い頃には西宮の夙川に住んでいたことはあるのですが、神戸方面にタクシーで行ったことはないし。六甲山の緑があざやかなドライブで帰宅は5時半頃。

 

https://twitter.com/yamadakenji1/status/1525380979862384643

2022年5月13日 (金)

連休明け一週間終了

木曜の授業2つで、連休明けの一週間授業が終わりました。このところ喉が不調で少々つらいのですが、体調全体はまずまず。帰宅は5時半過ぎでした。

そろそろ次のミッションも増えてきたので、備忘録として書いておきます。5月末までに詩人論を400字詰め4枚ほど。6月までにフランス歌曲の翻訳を数編。通信教育部のレポート採点は5月20日頃までに。そして次は「びーぐる」56号の原稿にかかります。いつもの連載と特集の論考を12枚ほど。あとは6月末に詩の締め切り。そんなところでしょうか。まだ余裕はありそう。

 

https://twitter.com/yamadakenji1/status/1524645550427361281

2022年5月12日 (木)

授業2つのち詩集1冊

喉の調子が少々悪いので、授業を早めに終わるつもりだったのですが、つい時間一杯までしてしました。いつものことです。何歳になっても癖が抜けなくので困ります。体力的には弱ってきているので、少し楽ができるようにすればいいのですが。ま、定年退職までこんな調子が続くのでしょうね。帰宅は6時前。

夜は詩集を1冊読みました。以下はツイッタより。

吉井淑『鍋の底の青い空』(澪標)大阪藤井寺在住の詩人による第7詩集23篇。古墳の町を舞台にした作品も独創的で面白いが、なんといっても固有の記憶が全体に漂っていて情緒を掻き立てる。幼年期に出会った人々(おそらく多くは既に亡い)が幻想のリアリティをもって蘇ってくる。郷愁の郷愁として。(引用ここまで)

 

https://twitter.com/yamadakenji1/status/1524233632059375617

2022年5月10日 (火)

授業再開

連休明けの授業再開の日でした。火曜はわりと楽な授業の日ですが、ひさしぶりなのでそれなりに疲れました。ともあれ予定通り4時半に終わって帰宅は6時前。

夜は明日と明後日の授業準備など。だいたいできました。明日は萩原朔太郎『月に吠える』を講義します。講読はボードレール。日仏ゴールデン詩人の日ですね。

あ、大谷選手おめでとう。あと10分ほど家を出る時間を遅くしていたらリアルタイムで本塁打を見られたのですが。ま、仕方ないです。仕事優先です。

https://twitter.com/yamadakenji1/status/1523888296979742720/photo/1

連休最後の日はのんびり

めずらしく、録画しておいた野球を見ながら朝食、ちょっとおいて昼食。この日が、個人的連休最後の日です。夕方、息子の妻のために誕生日のブーケを買ってお届け。ちょうど孫娘の食事タイムなのでずっと見学しました。よく食べること。元気で祖父はうれしい。

というわけで、今夜もネタがないので、詩集『冥府の朝』から1篇紹介します。

 

三途の壁

 

前方にいる人達はみんな賑やかなのだった

五十二で死んだ母に六十一で死んだ父に四十七で死んだ兄

四十八で死んだ親友に三十七で死んだ後輩に三十で死んだ友もいる

母は 八十で死んだ作家のOさんと談笑し

父は やはり八十で死んだ評論家のKさんと酒を飲み

兄は 八十三で死んだ俳人のSさんとなんの相談をしているのやら

 

背後には薄い靄のような壁があって

その後方では なぜかみんな沈みこんでいる

そこにだれがいるかは分かっている

妻 息子とその妻 娘とその夫 それに二歳の孫 

医師 看護師さん 介護士さん 療法士さん

みんな 戻ってこいと手招きしている

 

壁の向こうが明るく楽しそうで

(二度と死なないでいいのだから)

こちらは辛くて悲しいような気がする

(いつか死ななければならないのだから)

このまま靄の向こうに行ってしまえば苦痛はない

でも なんだか 忘れているような気がする なにかを

 

もうすぐ娘が二人目のこどもを生むらしい

息子にもいずれ生まれるだろう

みんな寂しそうな顔をしているのは私が逝きそうだからか だが

まだ しばらくはこちらにいられなくもない 少しがんばれば

みんな元気に(空元気でもいい)生きていけるように

その辛さを少しは引き受け 生きていること

 

三途の壁を越えるのは

家族に 自分に(できれば世界に)

もう少し元気を

生きる価値を

死ぬ覚悟を

示してからでいい それでいい

 

https://twitter.com/yamadakenji1/status/1523587711386660864

2022年5月 9日 (月)

ビーフシチュー会食のち詩集を一冊

夕方、近所のスーパーに行って、少しだけ食材を買いました。メインのビーフシチューはすでに前日に作ったものを寝かせていますから、夕食の用意は簡単です。息子夫婦(と生後7ヶ月赤様)と食卓を囲みました。このところ一週間ほど孫娘に会っていなかったので、その間に一回り大きくなった感じ。この時期の子供って本当に成長が早い。

夜は詩集を一冊読了しました。以下はツイッタより。

新井啓子『さざえ尻まで』(思潮社)隠岐の島出身(と思われる)詩人による第4詩集18篇。フォークロワ的ノスタルジーとリアルな現実視線とが交錯する、不思議にして現実的なワンダーランドといった世界観を描いている。どの作品も静謐な中に不穏なリリシズムを秘めている。独自のオノマトペも魅力。(引用ここまで)

 

連休も終わりましたが、月曜は自宅研修日なので、出勤は火曜からです。準備は万端。大丈夫。今年もマツバボタンの季節ですね。

https://twitter.com/yamadakenji1/status/1523289680267030528

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