かなりアナーキーな状態になっていた仕事部屋の本を整理しました。といっても、ダンボール箱3つに入れて別室に移動するだけ。あとは、溜まっていた書類などの紙類を捨てる準備。これだけでもかなり部屋が整然としたような気がします。夕方、少しだけ散歩。
夜は第6詩集の準備を少々。第5詩集が出て1ヶ月ほどしか経っていませんが、本来は2冊同時刊行を企んでいたもの。第5詩集とはかなりテイストが異なるので、少しずらして正解かもしれません。受け取った方も困るかもしれないし。差し替え部分を編集プロダクションに送稿しました。連休明け頃に動き始めます。福永武彦論の方も連休明けに始動。こちらは刊行まで少し時間がかかりそうです。
今日(3日)から連休後半。まずは志摩半島の山荘までプチバカンスに。どうやら天気はよさそうなので、ひさしぶりに太平洋を眺めてきます。できれば安乗岬も。第5詩集『羽の音が告げたこと』に収録した安乗岬の詩を転載します。
喜びも悲しみも安乗岬
山田兼士
荒壁の小家(こいへ)一村(ひとむら)
反響(こだま)する心と心
稚児(ちご)ひとり恐怖(おそれ)をしらず
ほほゑみて海に対(むか)へり
(伊良子清白「安乗の稚児」)
志摩の果て安乗岬には何度も行った
自転車を四台連ね坂道を上った
目指すは岬の先端の灯台だ
芝生の前で若駒のように自転車を留めた
「安乗の稚児」の詩碑の背後には
四角形の灯台がそびえていた
映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ地だが
一九六〇年チリからの津波が松林を襲った
今は平らな芝地 岬公園の
右は波打ち付ける荒海 太平洋の
左は波静かな風待ち港 的矢湾の
畑のような入江 牡蠣と海苔の養殖の
入江は稚児のように微笑んだ
八歳の息子と六歳になったばかりの娘が
右の海を見ては顔を見合わせたが
左の海を見ては安堵の表情を見せた
稚児(ちご)ひとり恐怖(おそれ)をしらず/ほほゑみて海に対(むか)へり
と歌った詩人は安乗を訪れたことがない
鳥羽の村医として生涯を過ごし
無心の詩を稚児に託したのかもしれない
沖ゆく船の無事を祈って灯をかざした
灯台の喜びも悲しみも いまは
幾年月の波と風に清められた
純白の記念碑として聳え立っていた
安乗岬で私たちも こうして
喜びも悲しみも幾年月 を経て
疾駆し 転倒し 時には空転して
海に対うようになっただろうか 微笑んで
この秋 息子夫婦が灯台を訪れた
次の秋には娘夫婦も訪れるはずだ
反響(こだま)する心と心はどんな和音を奏でるだろうか
稚児は ほほゑみて海に対ふ だろうか
深夜ワインはイタリアの赤。音楽はテレマンの「ターフェルムジーク」。おだやかな初夏の深夜です。


