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2020年1月

2020年1月30日 (木)

病院便り 2

羽曳野の病院で1ヶ月、その後、北摂は箕面のリハビリ専門病院に移されて2ヶ月になります。その間、羽曳野の病院での記憶はほとんどなく、箕面に来てからは夢と現実が混合したような奇妙な経験を経て、この半月ほどでようやく現実の生活感覚を取り戻した、といったところです。とにかく自分の足で立てないのが不自由で、そこに病院の安全対策を期した様々なルールが加わって、窮屈な生活を余儀なくされています。そんな中でも体調の回復に伴って少しずつ自由がきくようになって、この日は一人で食堂まで行くことを許されました。おちろん車椅子で。

入院中はいっさい仕事のことは考えない、読書もしない、音楽も聞かない、との覚悟もつぎつぎと崩れて、最近は次年度の予定(一部復帰)のことなど電話やメールでの打ち合わせも増えています。先日は、ついに詩を1篇書きました。不自由な脚を抱えながらどうやら元の生活に近づきつつあるようです。22時就眠6時起床というのも少しは馴染んできました。

まずは病院での日常の報告です。順調に回復しつつあることをお伝えする次第です。

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2020年1月14日 (火)

病院便り 1


ご挨拶

何かと心落ち着かぬ 1年がとにかくすぎて、2020年が始まりました。お元気で お過ごしでしょうか。
日頃はすっかりご無沙汰し、特に昨秋以後は、書簡等は言うにおよばず、メール連絡さえ差し上げておりません。ブログ日記も10月12日をもって中断しています。
実は10月以降、すべての仕事を中断し、大阪千里の病院で療養しております。関西地方が台風に見舞われた夜、突然の高熱 に襲れたのでした。原因 はわかりません。 病院に運ばれ2週間ほど意識不明が続いたそうです。 医師の診断では髄膜炎とのことですが、まさかですね。中原中也が倒れたのとおなじ病気ですから。
幸い現在では良薬も開発され、懸命の治療によって一命をとりとめることができましたが、かなり危ういところだった、とは妻の言葉です。この間の妻の奮闘 ぶりには感謝 しかありません。ともあれ、生死の境界を超えてこうして文章をしたためたりしていますが、異界体験についてはいずれまた。
2週間の意識不明の間 、私は何をしていたでしょうか。家人の証言ですが、かなり粗暴で我儘な面もあったようです。これについても、一週間にわたって見続けた二重空間の夢とともにいずれ。
- [ ] 秋から冬にかけてのこの3ヶ月の間、世間では様々な動きがあったようです。病臥中の私にとってすべては風 のようなものでしたが、自分の身に関わることがらについては傍観ばかりとはいきません。 まず、大阪芸術大学の6つの授業は出口逸平さんはじめ同僚 の皆さんに、ひとまず来春までフォローしていただくことになりました。詩誌 びーぐる の企画と編集を高階杞一さんに、関西詩人協会の会報を永井ますみさんに、それぞれおまかせしています。ここに記して感謝申しあげます。
現在の体調ですが。頭脳、言語、上半身等についてはほぼ問題なく機能しているようです。問題は脚、腰部分で、現在車椅子を利用しています。リハビリ奮闘中ですが、なかなか道遠く、当分は不自由が続きそうです。職場復帰についてはひとまず四月頃を考えていますが、未だ流動的です。執筆につきましては、頭脳に問題がなければ間も無く、また、闘病中の悪夢等についても小品等認められればと考えています。
未だ闘病中ゆえ、簡潔なメールのみにて失礼致します 。残りの人生を静穏に謙虚に生きることを念じつつ。

2020年1月 11日
大阪千里にて
山田兼士

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